2025.01.15

開通迫る!歴史とロマンの峠道と新・八十里越を体感する完全踏破ガイドツアー計画進行中

Information
参考価格未定
販売者名八十里倶楽部
購入可能場所未定
販売予定時期未定
商品説明1泊2日のトレッキングガイド。三条市を起点とし、「八十里越」の起点・中間地点・終点でそれぞれ送迎を行う。宿泊地は只見町を想定。1日7~8時間程度。ガイドが同行して安全性を担保しつつ歴史案内を行う。

初心者から参加できるトレッキングから上級者向けの全線踏破、工事中の新道をバスで見学するツアーまで、八十里越の楽しみ方は様々。新しい国道289号の開通が迫った今、旧道と新道を組み合わせた魅力のツアーが計画されています。発案者の八十里倶楽部・大竹晴義さんにうかがいました。

 

大竹晴義さん:1959年、南蒲原郡下田村八木前(現三条市)生まれ。2015年に下田地域の活性化を目指し「NPO法人しただの里」を設立し「八十里越フォーラム」などの活動を始める。また、八十里倶楽部を発足させ、八十里越古道の整備とトレッキングガイドなどを行なっている。

いよいよ新しい八十里越道路の全面開通が近づいてきました。それを見越して新しいツアーを構想中とお聞きしました。

大竹:はい。10年ほど前から八十里越の峠道を歩くトレッキングを企画して実施してきました。どれも大人気で、毎年のように参加するリピーターの方も増えています。八十里越の雄大な自然と、長い歴史が醸し出す魅力を体感したら何度でも通いたくなるという証だと思っています。

新しい国道289号線は連なる山々を縫いながら走ることになり、峠道の旧道とのコントラストという新たな魅力が加わります。そこで両者をミックスすることで、登山の上級者にしかお勧めできない現在の全線踏破を、もっと広く多くの方々に楽しんでいただけるようになると考え、計画を進めています。

―楽しみですね。具体的にどんなルートになるのかうかがう前に、今行われているツアーについて教えてください。

大竹:八十里越のガイドを本格的に始めたのは2015年頃です。それから2年後に「八十里倶楽部」というグループを設立し、以来この倶楽部としてガイドを実施しています。2018年からは三条市企画のガイドも大半を私たちが運営していますから、倶楽部オリジナルと三条市の企画との両輪というところです。

例えば、登山やトレッキング好きの方向けの「三石神社と八十里越古道“山神杉ブナ平“トレッキング」は、八十里越古道5キロ(約5時間)を含む名所巡りです。登山上級者向けには「八十里越踏破の旅」があります。古道約24キロを約13時間かけて踏破するもので、危険箇所もある本格登山です。

他にもダムめぐりや、工事区間を見学するバスツアーもありますが、こちらは八十里越倶楽部の運営ではありません。また、以上はあくまで昨年の例ですので今後変更の可能性はあります。

八十里倶楽部だからこそ、という特徴はありますか。

私たちのツアーは、単にトレッキングや登山を楽しんでいただくだけのものではありません。八十里越エリアの歴史や環境を理解していただくことを重要視していますから、事前にパンフレットをお読みいただき、基礎知識を持った上で参加していただくことになります。

その上で、歴史に詳しいガイドが、江戸時代から下田と只見を結んで人、モノ、技術や文化までが行き交う重要なルートであったことをきちんと解説し、当時の人々の気持ちや暮らしぶりをイメージしながら歩いていただけるようにしています。おかげさまで好評をいただきリピートされる方が増えています。

特にここ数年で八十里越への関心と知名度の高まりを実感しています。県外から参加される方も多いですね。

それにしても古い峠道を歩くとなると、登山道の整備が大変だと思いますが、それも八十里倶楽部で行なっているそうですね。

大竹:そもそも八十里倶楽部を発足した目的は、八十里越街道の整備のためなんですよ。

そうなんですか。では設立の経緯も含めて、八十里倶楽部の活動について教えていただけますか。

大竹:私の生まれは八木ヶ鼻の麓ですから、八十里越の山々に抱かれて育ったようなものです。格好の遊び場でもありましたが、なめこ採りに入った父が遭難しかけて、八十里越の怖さを思い知ったこともあります。

ところで、この「八十里越」という言い方ですが、普通だったら「八十里山」とか「八十里岳」となりそうなのに、なぜ他と違うのだろうという疑問を持つようになり、新潟と会津の歴史を調べるようになりました。その中で河井継之助を知り、この人を主人公にした司馬遼太郎の『峠』を読み、一気に関心が高まりました。

ちょうどそんな頃の1996年、消防団員として八十里越山岳遭難訓練(国道289号線〜空堀〜吉ヶ平)に参加、また「しただふるさと祭り」をきっかけに戦時中に建設された吉ヶ平分校の保存活動を始めたり、地元の方々が行っていた八十里越の草刈り作業にも参加するようになるなど、地域活動を通じて更に関心が深まりました。同時に、地域の先輩方の話を聞く機会が増えると、ちょっと調べたくらいで実は何も知らない自分に気付かされ、情けなくなってしまいました。

実際に自分で古道を歩き切ってみようと、1泊2日の踏破に初めて挑んだのが53歳の時です。山登りに慣れているわけではないですし、大苦戦でした。でも八十里越の奥深さにますます惚れ込んでしまい、只見町の方々と一緒に踏破したり、文献だけでなく実地調査にも本気で取り組むようになりました。

そんな流れから2015年に「NPOしただの里」を設立し、さっそく翌年から「八十里越フォーラム」をスタートさせました。これまでの活動と調査の結果として八十里越の現状や未来像を皆さんと共有したり、ゲストを招いて広い視野から地域の魅力を再発見し、新しい国道の開通という大きなチャンスに向けて下田地域を盛り上げていきたいと思ったからです。

八十里越への関心が高まるにつれて、山道の整備はこれまで以上に重要になってきます。それで発足させたのが「八十里倶楽部」なのです。

うかがっていると、八十里越に賭けた人生という感じがします。

大竹:相当なエネルギーを注いでいることは確かですね。一口に峠道の整備といっても、いきなり仲間と山に入って作業というわけにいきませんから、毎年5月の連休明け頃に、どこをどう整備するかの事前調査をします。まだこの時期では除雪しながらの山入りとなりますから、それも一苦労です。

どこに倒木があるか、今年重点的に整備が必要なのはどの地点かなどを調べ、それに沿って年に10回ほど草刈りや看板の取り付けなど、歩きやすい環境のための整備を行っています。八十里越フォーラムに参加してくださった方が倶楽部のメンバーになってくださるなど、相乗効果があるのは嬉しいことです。

倶楽部のメンバーは50〜70代で、だいたい50人ほどです。トレッキングに参加したのをきっかけにこちらの作業に協力してくださる方もあり、交流の広がり自体も意義のあることだと思っています。

背の丈ほどもある草と格闘しながら河井継之助、重い荷物を運ぶ人々、瞽女さんたちなどなどが、どんな思いで過酷な道を行き来したのだろうかと、古に想いを馳せています。

―トレッキングツアーのガイドも八十里倶楽部の方々ですね。

大竹:そうです。元々歴史好きの人が多いのですが、さらに研修でスキルアップし、山道の案内も兼ねるというのは、誰にでもできることではないと思います。ツアーの回数自体は始めた当初より減っているので、現在ガイドとして稼働中なのは5、6人といったところです。

―長い間のご努力と蓄積を経た上で今日のあることがよく分かりました。さて、本命が最後になってしまいましたが、新しい国道289号線開通の暁に実施を目指して計画中というツアーについての説明をお願いします!

大竹:はい。仮称を「八十里越完全踏破ガイドツアー」としているもので、何がポイントかと言いますと、登山中級者の方々にご参加いただけるということです。

先に紹介したように、今も全線踏破のツアーはあります。しかし10時間以上かかってしまいますから、体力に自信のある登山上級者の方でないとお勧めできません。もっと広く多くの方々に八十里越の魅力を体感していただきたいのに、障壁が高すぎるのです。

八十里越が難関になっている大きな要因は、長いルートの途中に集落も山小屋も何もないことです。江戸時代、人々の往来のあった頃は小屋があったのが確認されていますが、今や面影もありません。集落も一つもありません。

登山道として見た場合のエスケープルートも2か所しかなく、つまり途中でアクシデントがあっても、ギブアップしたくなっても、できないわけです。

しかし新道が開通すると、ちょうど峠道の中間あたりで車道と交差する地点ができます。ここで一旦車道に出ることができたら、初日に6、7時間歩いて一度戻り、翌日またこの地点に戻って続きから歩くという1泊2日のツアーを組むことが可能になるのです。

登山の中級者にうってつけのコースとなりますから、ターゲットが大幅に広がります。中間地点までの送迎業者、宿泊施設などと提携することで地域経済にも寄与できます。

―とても魅力的なツアーになりそうでワクワクしてきました。期待しています!

大竹:八十里越は知れば知るほどに魅力の深まる所です。毎日違った表情を見せてくれる自然と歴史を一緒に味わえる絶好の地です。私たちも新しい国道の開通を心待ちに色々な企画を考え、環境整備とガイドのスキルアップにも努めていますので、ご期待ください!