なくてはならない峠道
かつて南会津地域では越後から、食塩・魚類・鉄製品などの生活用品を移入しており、越後地方では南会津地域から、繊維原料、林産物、労働力などを確保していました。この行き来に使われていたのが八十里越峠を通る道で、両地域の経済活動や人的交流に無くてはならない街道でした。
明治の終わり頃まで続いたこのような地域間の交流も、大正時代以降、鉄道や周辺道路が整備されると、次第にその役目を失っていき、昭和に入る頃には車が通行することのできない“けもの道”だけが残されました。
国道認定
国道289号は、昭和45年(1970年)に国道として認定された、新潟県新潟市を起点とする福島県いわき市に至る総延長約280kmの道路です。このうち新潟県三条市下田地域から福島県只見町に至る県境部分の19.1kmの区間は越後山脈のほぼ中央に位置し、標高1,000~1,500m級の山々に囲まれた日本でも有数の豪雪地帯を越えるこのエリアは、その険しさから「八十里越峠」と呼ばれてきました。
明治の初期には改修工事が着手されましたが、毎年雪の無いほんの数ヶ月間にしか工事を進めることができず、その山深い秘境での改修工事を思うように進めることができませんでした。結局、国道の認定を受けた後も地図上では車両通行不能区間として点線で表される“点線国道”として残されてきました。
「通行不能区間」の解消
昭和61年(1986年)から国土交通省・福島県・新潟県により、この「通行不能区間」の解消を目指して289号改築事業がはじめられ、1989年から11本のトンネルや10本の橋梁建設という大工事が進められてきました。困難を極めたこの国道整備事業も着実に進められ、いよいよ全面開通という歴史的な瞬間が近づいており、新潟県側、福島県側の双方で期待が膨らんでいます。
これまで車両の通行できなかった区間が解消されることにより、両地域がグッと身近になります。
福島県南会津地域と新潟県央地域の間は、
- 高速道路を利用して約157分[北陸道 ─ 磐越道 ─ R252]
- 国道252号で迂回して約117分
もかかっていましたが、八十里越峠を通る国道289号を利用することにより所要時間は約79分となり、これまでに比べて距離も時間も大幅に短縮されることになります。
総合病院のない只見町では、救命救急体制が飛躍的に向上することになり、大きな期待が寄せられています。
国道開通によって、古くから街道を通じて交流のあった三条市・只見町・南会津町の距離が縮まり、連続する地形やそこで育まれた歴史・文化の魅力を味わいやすくなります。
例えばこの地域には、ユネスコエコパークに指定されたエリアをはじめ、普段人の立ち入らない急峻な山岳自然環境・希少な生態系が残されています。
さらにその山麓には、遥か昔からの人の営みによって醸成されてきた伝統的な生活が息づいており、古く都市部から伝わった様々な工芸・芸術・祭り等の文化が蓄積されています。
新たな移動ルートによって、この地域が、これら独自の魅力を味わうことのできるひとつの観光エリアとして楽しめるようになると期待されています。過去から未来を紡ぐ街道がつながり、いま、「八十里越街道」という新しい観光エリアが誕生します。
「八十里越」のあゆみ
工事の詳しい情報
工事に関する詳しい情報は、以下の長岡国道事務所サイトでも紹介されています。
国道289号八十里越HP