「しただふるさと祭り」は、毎年8月の第4土曜日に開催。今年は8月26日です。祭りの始まりは平成元年のこと。10年後、小さな祭りに大きな変化が起きました。重さ約1.5トン、長さ50メートルを超える大蛇にお姫さまを乗せ、威勢よく町を練り歩く「雨生の大蛇祭」が加わったのです。今や地域の重要なアイデンティティに。大蛇祭を発足させた山田宏高さんにうかがいました。
ーー「雨生の大蛇祭」は新潟県三条市下田(しただ)地域の伝説に基づいているそうですね。
山田:伝説の舞台は、下田側からいうと、八十里越のちょうど入口にあたる「吉ヶ平(よしがひら)」です。かつて八十里越を馬や人々が往来していたころは交通の要所だったのですが、時代の変化で衰退し、昭和45(1970)年に集団離村して廃村となってしまいました。
この吉ヶ平に「雨生ヶ池(まおいがいけ・通称まごいけ)」という神秘的な美しい池があり、大蛇の「雨生さま」という神さまがすんでいると伝わっています。雨が生まれるという名前の通り、日照りのときに雨を降らす神さまではあるのですが、降り過ぎたら止めてくれる治水の神さまでもあります。「しつけ水信仰」と呼ばれ、下田のシンボルの五十嵐川とその水系沿いに広がる雨生講(まおいこう)が今もあります。
要するに「降らないときは降ってくれ、降り過ぎたときはもう降らないでくれ」と願う講ですね。地域の農民の生活に根付いた信仰と伝説を、地域の祭りとして新たに甦らせたいと思ったのです。
大蛇伝説を祭りにしようと盛り上がる
ーー何かきっかけがあったのでしょうか。
山田:集団離村の吉ヶ平から、私の暮らす「中組」地区に移住した人の話がきっかけです。中組には元気な者が多く、結束力もあって、しただふるさと祭りの夜は、祭りの会場になる河原でキャンプをするのが恒例でした。
最初のころのしただふるさと祭りは、戦隊ものやニジマスのつかみ取り等のアットホームなもの。地域独自のメニューとしては、昔々五十嵐小文治という怪力の豪族がいて、石を投げたら五十嵐神社の大杉にめり込んだという言い伝えを元にした「五十嵐小文治石投げ全国大会」がありますが、当時まだ30代で血気盛んだった私は、正直、なんとなく物足りなさを感じていました。
そのキャンプでの宴席でのこと。吉ヶ平出身者が「五十嵐小文治は、雨生ヶ池の神さまの子どもなんだ」と、伝説を語ってくれました。すると、この伝説をお祭りにしようと、酔った勢いでアイデア沸騰、すごく盛り上がったんです。
ーー小文治が祭りに登場しているなら、生みの親を祭りにしないわけにいかないだろうと
山田:「雨生の大蛇祭」の企画書を作ったのが平成9年でした。色々な人に相談していると、八木神社の宮司から「大蛇の伝説を祭りにするなら、八木神社に来い」と呼びつけられたんです。八木神社というのは、下田の景勝地「八木ヶ鼻」の麓にある神社で、たまたま私の中学時代の美術の先生が宮司でした。
かつて伝説の池のほとりにあった「雨生神社」が八木神社に合祀され、雨生の神さまがそこに祀られているというではありませんか!
ーー地域の歴史を祭りとして継承する整合性は完璧ですね
山田:そうなんです。企画書をブラッシュアップし、商工会青年部や祭りの企画委員会も乗り気になってくれたことで、平成10年からスタートさせることができました。
お姫さまの恋物語
ーー祭りの流れを教えてください
山田:当日は早朝5時に雨生ケ池に水をくみに行きます。大蛇の神さまを呼び起こすためです。真夏とはいえ池の奥は冷気の立ち込める神聖な雰囲気に包まれています。
大蛇の頭は木彫りで、胴体は茅です。初めは竹を芯にして藁でくるんでいたのですが、伝説の大蛇の昇天に合わせて胴体を毎年燃やすので、作りやすい茅にしたのです。
この大蛇に、伝説に登場するお姫さま役の女の子と、小文治役の男の子を乗せて八木神社を出発、祭り会場の五十嵐川河川敷に向けて練り歩き、夕方胴体を燃やして昇天していただきます。講の方々による神楽舞も見応えがあります。
ーー肝心の伝説を要約してご紹介いただけますか
山田:伝説ですから様々なバージョンがあり、特にどれを採用しているともいえません。笠掘姫という美しい娘のいる名主の家に、ある日、若者が立ち寄った。姫は想いを寄せるが、若者がしばらくして立ち去るのを悲しみ、行方を確かめたいと針で赤い糸を縫い付けた。その糸を辿ったところ雨生ヶ池に着いた。大蛇が現れ「私はこの池の主です。針を刺されたので間もなく死にますが、あなたのお腹には新しい命が宿っています。大切に育てて下さい」といって昇天してしまった。死因が針だったため金物が不吉とされ、大蛇作りに金物は使っていない。このくらいの理解で、あとは祭りをお楽しみください。
下田ラブの若者が増えている
ーー25年やってきての感想をお願いします
山田:企画を打診して回っていた当初はみんなが賛成というわけではないですし、いよいよ発足が決まったものの、体重1トンを超える大蛇を担ぐだけの人員がいるのかなど、具体的な問題点がみえて焦ったり、困難はたくさんありましたが、やってきて良かったと心からの充実感でいっぱいです。
下田はただの田舎に過ぎないとのコンプレックスから、今や下田ラブの若い人が増えているのを感じ、吉ヶ平をはじめとする下田の歴史に興味を持つきっかけとなる大蛇祭が、アイデンティティの一部になっていると自負しています。
中組は、祭りの初回から揃いの法被を作ったんですが、それを見て翌年から他の集落や有志グループがオリジナル法被を着るようになり、私がデザインしただけでも10種類以上。法被が住民の連帯感につながるのも実感しています。
エネルギーを持て余していた男の子たちが揃いの法被で大蛇の担ぎ手を買って出てくれたり、心当たりのある男の1人として感動で泣けるシーンもたくさんありますね。
それからこの場を借りて、同じく大蛇伝説の地として「えちごせきかわ大したもんじゃ祭り」をずっと前に始めた、新潟県関川村の元村長の平田大六さんにお礼を述べます。
私たちが企画段階で悩んでいたときにお話をうかがうと「バカが5人いれば何だってできる」と。こっちにはバカが10人以上もいるんだと勇気をもらいました。以来、関川村の祭りには中組からの担ぎ手が毎年助っ人というか、押し掛けというか、参加させてもらっています。
オールドニューなしただ郷へ
ーー八十里越道路への期待も熱そうですね
山田:下田地域の閉塞感は、行き止まりであることです。国道289号が開通したら、奥座敷だった私たちの地域が玄関口になるのですから、計り知れないインパクトです。
中学時代に先生と友だち数人で八十里越を歩いたことがあります。平地にいては想像もできない自然の雄大さに、みんなが息をのみました。この唯一無二の自然が観光資源としてまず素晴らしい。只見町との交流、北関東が近くなるのも大変楽しみです。
ーー下田愛あふれる山田さんから、下田の明日に向けてのメッセージをお願いします
山田:明日を創るのは子どもたちです。それで私はコミュニティースクールの代表も務め「オールドニュー」を基本方針にしています。下田は2万年前の遺跡が満遍なく出土する長大な歴史ある地です。吉ヶ平は、源氏と平家が互いの身分を明かさず「呉越同舟」していた地でもあります。かつての八十里越が日本海側と太平洋側を結ぶ重要な道だったことはいうまでもありません。
そんな歴史と三条のものづくりの伝統の上に、最近は三条市が「アウトドア宣言」をし、「スノーピーク」を筆頭とするアウトドア関連企業が急成長するなどのニューがあります。ここに国道289号が開通し、オールドでニューな下田として甦るのを心待ちにしています。
山田宏高さん:下田郷カフェ こくわ屋藤兵衛 当主
取材日/2023年7月31日
取材・執筆/ 北原広子
しただふるさと祭り 開催日:毎年8月第4土曜日 開催場所:新潟県三条市荻堀地内(下田大橋たもと) 内 容:熱気と興奮につつまれる「しただふるさと祭り」は石投げ全国大会、雨生の大蛇祭などパワー全開のイベントが勢揃い。会場内ではお店が並び、大人気のニジマスのつかみ取りや凧揚げなど家族で楽しめる企画がたくさんです。夜は大輪の花火とナイアガラが夜空を華やかに彩ります。ぜひお楽しみください。 料 金:無料 アクセス: ●JR信越本線「東三条駅」より「八木ヶ鼻温泉」行きのバスで30分 ●北陸自動車道「三条燕IC」より車で30分 駐車場:約300台 【2023年のプログラム】 開催日:2023年8月26日(土曜日) 開催場所 : 下田大橋下 特設会場 内容 : しただふるさと祭りプログラムは下記チラシとスケジュールをご覧ください。 問合せ先: しただふるさと祭り実行委員会事務局(下田商工会内) TEL : 0256-46-3073